山行記録2009/8 表銀座縦走 (おもてぎんざ じゅうそう) 【序章】
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【日程】 2009年8月8日(土)−11日(火)
【メンバー】 学生時代の友人U
【計画】 「中房温泉−燕岳−表銀座縦走−槍ヶ岳−上高地」
最高到達点標高3,180m、歩行距離39.1km、標高差1,727m、累積標高差+3,425m−3,369m
【場所】
言わずと知れた北アルプス。
その中央から南部に掛けての山域が今回の対象地域である。
地図では、燕岳・槍ヶ岳・上高地が今回歩く山域である。
【ルート】
銀座通りで、且つ「表」がつく位の目抜き通り。
安曇野(あずみの)の奥にある中房温泉から山に入り、上高地に抜ける長大なルートである。
変化に富み、飽きないコースだ。
初日 北アルプス三大急登といわれる合戦尾根経由で、燕岳(つばくろだけ)に登る。
二日目 表銀座の雲上散歩で、北アルプスの山々の眺望を楽しむ。
三日目 クライマックスの槍ヶ岳山頂を踏み、途中まで下山。
四日目 上高地に出て帰路につく。
という計画であった。
実際は、諸事情により、変更を余儀なくされ、二日目は巻き道を、三日目にはエスケープルートをとることとなる。
地図では青点線のルートを辿ったのである。
※この地図は、国土地理院測量結果「数値地図12500(地図画像・・・Web閲覧サービス゛「ウォッちず12500」)」「数値地図50mメッシュ(標高)」をもとに、KASHMIR 3Dを用いて作成したもの。
計画通りであれば、下図のような断面図を辿ったはずである。
合戦尾根の長い急登と、槍ヶ岳の尖り具合が目立つ。
合戦尾根は葛籠折れなのでたいした勾配ではないが、槍への登りの東鎌尾根は梯子などを多用した直登なので、違った意味合いを持つ。
槍沢への下りも急降下であるが、こちらは葛籠折れ。
【はじめに】
今年の天候は不順である。
梅雨明け後も傘マークの天気予報が続く。
心配していたのだが、夏休み前に発生した台風8号は、台湾・中国大陸方面に進み、日本への影響は回避されそうだ。
天気予報は例によってころころ変わっていたが、直前の予報ではようやく回復基調となった。
午後の雷雨に気をつける位で済みそうだ。
今回の山行は日本百名山No.54槍ヶ岳を含む表銀座縦走となることは、以前からUと計画していた。
いよいよ本格的に北アルプスへ足を踏み入れることになる。
慎重派の自分としては、色々な所で経験を積んでから、憧れの北アにトライするつもりでいたこともあり、だいぶ前から興奮状態に陥ったのも無理ないことか?
さて、行程が三泊四日と長くなるが、去年で味をしめたテント泊で行くことにする。
暑くて狭い小屋で、いびきの大合唱にはもう耐えられん。
去年は北沢峠を基地にして、テントを担いで歩く必要はなかったが、今年は縦走なのでテントは常に担いでいく必要がある。
6/19の甲武信岳で重いテント装備での山行のめどはついていたので、まぁ大丈夫だろうと踏んだ。
後は、長丁場に耐えられる体力があるかどうかだ。
日程は当然夏休みだが、Uの都合により、休み前日に登山口近くまで夜行で移動し、休み初日から登るというスケジュールを組んでいた。
必然的に車での移動となる。
最悪、天候によっては一日後ろにずらす事も想定していたが、どうやら杞憂に終わりそうだ。
というわけで、予め準備万端で、当日を迎えることができた。
金曜日に会社から帰宅し、食事と風呂を済ませて、22時過ぎにU宅に向かって出発。
首都高の渋滞もあり、U宅に着いたのは、日付が変わって、0時半を回っていた。
ここでUの車に乗り換え、松本を目指して出発。
途中のコンビニで食料を調達し、3時前には、目的地のタクシー会社(南安タクシー本社)に到着した。
なぜタクシー会社だって??
ご承知の通り、今回は縦走で出発地と到達地点が異なる。
通常は車山行では無理がある。
そこで、Uの車を到達地点の上高地(実際は沢渡:さわんど)まで、陸送してもらうことにした。
但し、陸送だけはしてくれないので、登山口まではタクシーを利用する。
タクシーと陸送がセットになっているわけだ。
肝心の費用であるが、タクシー代+陸送代で約17,000円かかるようだ。
バスや電車での移動との比較検討をした結果、個人負担は5,000円強の増にとどまることがわかった。
3人・4人であれば、更に差は縮まるが、これなら許容範囲ではないか。
出発を朝6時でお願いしてあるので、タクシー会社で仮眠を取る。
ちゃんと仮眠用の部屋を用意しているのだ。
聞くと、先客がいたらしいのだが、もう出発!!(早ぇー)したので、貸切で寝られるとのこと。
これはラッキー。
幸先がいいぞ。
というわけで、床にマットを敷いて、眠りについたのであった。
【これより本題】
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