山行記録2010/10 浅間山 (あさまやま)
(初日:篭ノ登山から続く)
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【日程】 2010年10月11日(月)体育の日
【天気】 ガス後晴(強風)
【メンバー】 会社の同僚N.I
【概要】 「車坂峠−南コース−トーミの頭−草滑り−湯の平−前掛山−湯の平−草滑り−トーミの頭−中コース−車坂峠」
最高到達点標高2,524m、歩行距離12.0km、標高差557m、累積標高差+1,249m−1,256m
歩行時間5:01、所要時間7:08
トーミの頭より浅間山
【ルート】
車坂峠より南ルートで第一外輪山の一角である「トーミの頭」を乗越し、第二外輪山の「前掛山」までを往復。
当初の計画では、前掛山の帰りにJバンド分岐から鋸岳〜黒斑山縦走して帰る予定だったが、諸事情により省略。
トーミの頭からの下りは中ルート(上のルート)とした。
※この地図は、国土地理院測量結果「数値地図12500(地図画像・・・Web閲覧サービス゛「ウォッちず12500」)」「数値地図50mメッシュ(標高)」をもとに、KASHMIR 3Dを用いて作成したもの。
以下、本文中に掲載のカシバード画像も同様。休憩地点は、白四角と山頂だ。
【活火山である浅間山の立ち入り規制について】
最高峰2,568mの釜山(上図では浅間山と表記)を含む火口から半径500mは、災害対策基本法第63条に基づき、立ち入り禁止となっている。
2010/10/11現在、噴火警戒レベル1(平常)で、前掛山までは「自己責任」で行くことができるが、突然噴火することもある山なので、リスクはある。
警戒レベル1に引き下げられたのは、2010/4/15であり、登山道の安全確認後の4/17から規制緩和され、前掛山まで行けるようになった。
比較的最近のことである。
その前はというと、2009/2/2に噴火している。
過去の経緯を見ても、1972年から立ち入り規制されており、釜山まで規制緩和されることは今後も無かろう。
警戒レベル2(火口周辺規制)に引き上げられると、図の「Jバンド分岐(賽の河原とも呼ばれる)」までしか行けなくなる。
(火口から半径2km以内が立ち入り規制)
その場合、第一外輪山までの山行が可能。(これも自己責任)
あちこちにシェルターがあることから、噴火の際の噴出物(有史来の浅間山は爆発タイプで、溶岩や火砕流もある)が危険なことは誰でもわかるだろう。
平穏時に怖いのは、目に見えない火山性ガスである。
知らないうちに巻き込まれて、体の自由が奪われる事になったら、死は免れ得まい。
この辺りをわきまえない心ない登山者が、大変多いのは嘆かわしいことだ。
この日も、数十人規模で、お釜を覗きに行く不心得者が居た。
繰り返すが、「自己責任」で行けるのは、前掛山までである。
(この場合の責任の取り方は、筆者の解釈では「万一被災しても文句は言いません。でも助けてはください」となる)
立ち入り禁止区域内で、動けなくなったところで、責任はとれまい。
「そのまま救助も何もしなくて、放置してくれ」という以外には責任のとりようがない。(救助する人も危険なのである。これでは自殺と変わらない)
それとも、防毒マスクを持参しているから大丈夫とでも言うのであろうか?(筆者は素人なので効果は不明だが)
最低限のことが守れないようでは、山に登る資格がないと言わざるを得まい。
こんな事が常態化すれば、そのうち、全く立ち入り禁止になってしまうかも知れない。(善良なハイカーにとっては迷惑この上ない)
ちなみに、前述の法律には、罰則がある。
「10万円以下の罰金または拘留に処する」とある。
スピード違反で赤切符を切られる(要はかなりのスピードを出していたということ)のと、同等の罰金である。(筆者は経験無いが)
「罰金」は「反則金」と違い、前科が付くそうだ。
要は犯罪者も同然なのである。
さて、あなたが山行リーダーだとしよう。
何も知らない同行者を連れて立ち入り禁止区域に入って被災した場合、更に、民事上のリスクもある。
損害賠償を求められる可能性が高いということだ。
そのとき、あなたはこの世の人ではないだろうから、残された家族が訴えられることになる。
また、保険に入っていたとして、規制区域立ち入りによる被災のケースでは、保険金が支払われるかどうかわからない。
支払われたとしても、減額は免れないだろう。
自己責任を拡大解釈して立ち入り禁止区域に入るということは、突き詰めると、こういうことになりかねないと言うことである。
それだけの覚悟を持って、立ち入り禁止区域に立ち入っているかどうか、疑わざるを得ないのであった。
知らなかったで済めば、警察は要らない!!!
長々と書いてきたが、結論としては、浅間山登頂は「前掛山登頂」で良しとすべし。
釜山に到達しなかったからといって、日本百名山制覇にケチが付くわけではない。
むしろ、釜山に行かなかったこと自体が、良識ある人間であることの証明だということだ。
前掛山に行って、浅間山登頂したと宣言すれば良かろう。
(前掛山山頂に「日本百名山 浅間山」と書かれた標識があるのに、異論がある向きもあるようだが、気にすることはない)
それで山行の価値が下がるものでないことは、行ったあなたが一番よくわかっているはずだ。
単にお釜が見たかったという人も、我慢しましょうね。
【所要時間】
場所 |
車坂峠 |
トーミの頭 |
湯の平口 |
脱ぐ |
休憩 |
前掛山 |
Jバンド 分岐 |
湯の平口 |
トーミの頭 |
車坂峠 |
計 |
標高(m) |
1,974 |
2,308 |
2,015 |
2,148 |
2,368 |
2,524 |
2,090 |
2,015 |
2,308 |
1,967 |
557 |
区間距離(km) |
2.2 |
1.0 |
1.0 |
0.8 |
1.0 |
2.1 |
0.7 |
1.0 |
2.1 |
12.0 |
|
累計距離(km) |
2.2 |
3.2 |
4.2 |
5.0 |
6.1 |
8.2 |
8.9 |
9.9 |
12.0 |
||
着時刻 |
- |
7:47 |
8:26 |
8:45 |
9:20 |
9:51 |
11:39 |
11:55 |
12:56 |
13:53 |
7:08 |
発時刻 |
6:45 |
7:57 |
8:27 |
8:49 |
9:25 |
11:00 |
11:44 |
12:10 |
13:14 |
14:10 |
|
区間タイム |
1:02 |
0:29 |
0:18 |
0:31 |
0:26 |
0:39 |
0:11 |
0:46 |
0:39 |
5:01 |
|
区間タイム小計 |
1:02 |
0:29 |
1:15 |
0:39 |
0:11 |
0:46 |
0:39 |
5:01 |
|||
所要時間累計 |
1:02 |
1:31 |
1:49 |
2:20 |
2:46 |
3:25 |
3:36 |
4:22 |
5:01 |
5:01 |
|
標準タイム |
1:30 |
0:30 |
1:45 |
1:00 |
0:15 |
1:00 |
1:20 |
7:20 |
|||
標準タイム累計 |
1:30 |
2:00 |
3:45 |
4:45 |
5:00 |
6:00 |
7:20 |
||||
歩行速度(km/h) |
2.1 |
2.1 |
3.3 |
1.6 |
2.4 |
3.3 |
4.0 |
1.3 |
3.2 |
2.4 |
・標準タイムは、池の平で入手した「浅間連峰 登山・ハイキングマップ」パンフレットのタイムを採用。
・荷物が軽いのと、傾斜が大したことないので、標準タイムを大幅短縮できた。
・最もきつかったのは、湯の平口からトーミの頭への約300mの登り返しだ。
・ここの標準タイムは、子供用か、年輩用と言えそうだ。
・車坂峠の標高差は、往き:登山口、帰り:駐車場としたため。
・休憩は時刻を緑字で表記。大休止は太字。
【はじめに】
昨日は篭ノ登山でお茶を濁したが、今日はいよいよ本命の浅間山(日本百名山No.43)である。
浅間山は、三重式の成層火山で、二つの外輪山を持つ。
外側が第一外輪山で、黒斑(くろふ)火山の名残だ。
数万年前には、富士山のようにきれいな形の成層火山だったといわれている。
当然、今より山体はかなり大きく、標高も高かったであろう。
ウィキペディアで調べると、湯の平付近に火口があり、標高は2,800mだったという記載がある。
(最近の研究で、阿蘇・箱根に巨大成層火山は無かったとされているので、この説も微妙ではある)
火山活動の結果か、山体大崩壊により、現在の第一外輪山を残すのみとなった。
牙山(ぎっぱ)の独特な形状は、このときに形成されたらしい。
東に開いた馬蹄形カルデラは、湯の平と呼ばれる。
(ウィキペディアのカルデラ一覧に掲載されていないので、カルデラという表記は不適切かも知れないが、本稿ではカルデラという表記とした)
現代は前掛火山の時代で、天仁元年(1,108年:平安時代)の大噴火で火口が陥没し、第二外輪山を形成。
こちらは小さなカルデラで、あまり外輪山っぽくはない。
その内側にある中央火口丘(浅間山本体)が釜山だ。
ウィキペディアによると、記録に残っている噴火はかなり多い。
685年、1108年、1281?年、1427年?、1527-1528年、1532年、1596年、1598年、1604年、1605年、1609年、1644-1645年、1647-1649年、1651-1652年、1653または1655-1659年、1669年、1704年、1706年、1708-1711年、1717-1718年、1720-1723年、1728-1729年、1732-1733年、1754年、1776-1777年、1783年(天明の大噴火・鬼押出し形成)、1803年、1815年、1869年、1875年、1879年、1889年、1894年、1899年、1900年、1901年、1902年、1904年、1907年、1908年?、1909年、1910年、1911-1914年、1916年、1917年、1919年、1920年、1921年、1922年、1927年、1928年、1929年、1930年、1931年、1932年、1934年、1935年、1936年、1937年、1938年、1939年、1940年、1941年、1942年、1944年、1945年、1946年、1947年、1951年、1952年、1953年、1954年、1955年、1958年、1959年、1961年、1965年、1972年、1973年、1982年、1983年、1990年、2004年、2008年、2009年
行けるときに行っておかないと、いつ登れなくなるかわかったものではない。
現在、登山可能なルートは、小諸口(小諸は軽井沢の西にある)のみだが、昨日行った天狗温泉から第一外輪山の内側(湯の平)に直接出るルートと、本日の車坂峠の二つである。
前者は、深田さんが初めて浅間山に登った時に使ったルートだ。
こちらも途中、牙山等変化があって、なかなか楽しそうなルートのようだ。
深田さんの著書「日本百名山」では、浅間山の標高が2,542mとなっている。
前掛山2,524mより高く、釜山2,568mより低い。
現在と違って、立ち入り規制以前で、お釜をのぞきに行っているので、お釜の標高を採用したのかも知れない。
いずれにしても、最高点の標高ではない。
そのときも、高一生の深田さんは「噴煙から逃げ惑った」との記述があり、安全な山ではなかったということだ。
車坂峠からのルートは、第一外輪山を越えていかなければならない。
大変なのであるが、第一外輪山の上から見る浅間山本体の展望は、大いに期待できる。
冒頭の写真がそれだ。
【これより本題】
朝6時には準備万端だったのだが、車坂峠は強風とガスで出発する気がしない。
昨晩はあんなに晴れていたのに・・・。
今日は天気が良いはずだったが・・・。
昨日のうちに登ってしまうべきだったか?
などと、グズグズしていたら、7時近くなってしまった。
せっかく早起きしたのに・・・。
しかも今日は連休最終日で、渋滞回避のために早く帰途につきたいという事情もあるのだ。
ようやく出発。
南コースに進路をとる。
高度を上げ、開けたところに出ると、八ヶ岳が雲の上に浮かんでいた。
天候回復の兆しである。いいぞ。
シェルター登場。
さすが活火山だ。
槍ヶ鞘(やりがさや?)という辺りにある。
こんな所まで火山弾が飛んでくるようでは、終わっているが・・・。
トーミの頭に到着。
第一外輪山(外側の外輪山)の一角だ。
生憎ガスガスである。
外輪山の内側(カルデラ:湯の平)は、別天地だった。
日が当たって、気持ちよさそうな風景が広がる。
浅間山本体は、ガスでほとんど見えない。
草滑りと呼ばれる急降下で、湯の平に向かう。
せっかく登ったのに・・・。
もったいなっ!!!
底に着いた。
外輪山の隙間から見える八ヶ岳。
トーミの頭を振り返る。
かなり下ってしまった。
湯の平口分岐。
右から天狗温泉ルートが合流している。
看板には、「火口部が立ち入り禁止であること」「前掛山までは行けるが、自己責任であること」が書かれている。
ここで、注意書き全文を紹介しておく。
*****************************************************
浅間山は活火山です。前触れ無く噴火することがあるので、火口付近は立ち入り禁止です。
このため、登山は前掛山までです。
登山可能区域であっても危険ですので、自己責任で登ってください。
下山は必ず小諸口へ。
―――――――注意――――――――
浅間山の火山活動は、このところは比較的静穏な状況を保っています。
しかし、人体に有害な火山ガスが常時発生しており、また現段階では、全ての噴火を予知できるわけではありません。
小諸口からの登山道以外は、立ち入り禁止です。
予知できない噴火(小規模)があった場合、噴石などの危険が大きいと判断されますので、「下山は必ず小諸口へ」してください。
*****************************************************
補足しておくと、軽井沢口というのが別途有り、こちらは「小浅間山1,655.1m」「石尊山1,667.4m」まで行けるらしい。
但し、小諸口から入って、軽井沢口に抜けるルートは、立ち入り規制されているということだ。
石尊山までは、湯の平から天狗温泉方面への下山途中に分岐がある。
小浅間山は、浅間山の反対側にあり、釜山を経由しないと行くことができない。
また、嬬恋から黒斑山へのルートは、不通の模様だ。
トーミの頭がカッコ良い。
天気が良くなってきて、気分が高まる。
平坦な道を10分ほど行くと、Jバンド分岐。
賽の河原ともいわれる辺りだ。
2km立ち入り規制時は、ここから先には行けないので、左折して第一外輪山に登ることになる。
直進して樹林帯を進み、木がまばらになってきた辺りは、見事な黄葉だ。
暑くなってきたので、薄着になる。
富士山のような火山礫の道を登っていく。
左から強い風が吹き付け、上着を脱いだのを後悔するが、暑くない(寒いというべきか)ので快調に進むことができる。(ザックも軽いしね)
途中で左目のまつげのところが白いのに気づくが、無視して登っていると、頭から滴がポタポタ落ちてくる。
何かと思って髪を触ると、左側の髪の毛がびしょ濡れだ。
冷たい風が頭に当たって結露しているようだ。
するとまつげが白かったのは、人間版霧氷ということになる。
突き当たりが立ち入り禁止区域だ。
ここを右折して、前掛山に向かう。
シェルターの横を通って、稜線を進む。
この稜線が、第二外輪山だ。
荒涼とした風景である。
この先の稜線は、左側から猛烈な強風が吹いており、飛ばされそうだった。
耐風姿勢をとるほどではなかったが、全く真っ直ぐに進めない。
風速20m級だろう。
突風がなかったのが救いだ。
青白いガス(写真右側がわかりやすい)を吹き上げる浅間山本体。
離れていても、時折異臭がして、危険を知らせる。
阿蘇の有毒ガスは咳き込むタイプだったが、こちらは種類が違うようだ。
白く見えるのは雲か。
第一外輪山の向こうに、北アルプスが勢揃い。
方角は、ほぼ真西だ。
昨日朝までの雨と、強風のせいか、空気が澄んで素晴らしい視界の良さだ。
穂高・槍・裏銀座・後立(北ア)全てが見えている。
第一外輪山は、トーミの頭・黒斑山・蛇骨岳・仙人岳だ。
中ア・御嶽山・乗鞍岳・穂高連峰。
空木岳・木曽駒が中央アルプスだ。
南には八ヶ岳もバッチリ。かなり近い。
この角度から見ると、いつもの八ヶ岳ではなく、不思議な感じ。
蓼科山の存在感が強い。
赤岳〜蓼科山辺りが八ヶ岳連峰。後に北岳・甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳(南ア)が見えていたようだ。
茅ヶ岳・霧ヶ峰は、雲の中。
ズームインすると。
御嶽山・乗鞍岳がバッチリ。素晴らしい。
美ヶ原は雲の中。
穂高連峰・槍ヶ岳がクッキリ。小槍の尖りも見えた。
手前の表銀座(大天井・燕岳)も重なって見えている。
立山・剱岳〜五竜岳。今年歩いた山々に再会。双耳峰の鹿島槍はいいランドマークだ。
位置関係は、立山・剱岳が奥。手前に後立山(針ノ木岳・スバリ岳・爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳・五龍岳)。
鹿島槍〜白馬岳。ここも今年歩いている。
ちょっと低い唐松・不帰ノ嶮は雲海に隠れているか。
眼下には、剣が峰・牙山(第一外輪山のなれの果て)が特異な姿を見せる。
素晴らしい景色に見とれていたが、ハッと我に返って登頂証拠写真。
前掛山(まえかけやま)山頂2,524m。
バックは釜山。
あまりの景色の良さに、下山するのが惜しい。
風下側に陣取り、昼食(いつものカップ麺)を摂ってマッタリ。
富士山も雲海の上に浮かんでいる。
北アルプス・後立山連峰(針ノ木・爺・鹿島槍・五龍・唐松・白馬鑓・杓子)が見事で、目が離せない。
針ノ木を除いて、全部今年歩いている。登った山が見えるとうれしい。
浅間山本体。青白いガスが右にたなびいているのがわかる。今も活動しているのだ。
下山途中で浅間山を振り返る。
Jバンドから第一外輪山を縦走する予定だったが、強風でやせ尾根歩きの危険が予想されるのと、時間の関係で取りやめ。
湯の平口まで戻る。
トーミの頭・黒斑山が聳え立ち、行く手を阻んでいる。
あそこまで登り返さなければならない。
なかなかいい景色だ。
浅間山を振り返りながら、高度を上げていく。
横から見た第一外輪山。
どんどん高度を上げる。
なかなか良い感じの浅間山。
荒涼とした第一外輪山。
まさに草滑りという名にふさわしい。
トーミの頭は、ハイカーで満員だった。小さな子供達も多い。ここまではハイキングコースとなっている。
トーミの頭より黒斑山。ここでもマッタリして、景色の見納め。
第一外輪山。
帰りは、中コースを通って下山。
次は温泉だ。
楽しみにしていた高峰温泉に行くと、なななんと「本日の日帰り入浴は14時まで」の看板が。
早すぎだろ? 聞いてないし・・・。
5分過ぎているが、ダメ元で中に入って聞いてみると、つれない返事。
ダメなのは仕方ないとしても、他に言い方があるだろ!!!?
客商売の基本がなっとらん!!!!!!!!!!!!!
二度と来るもんかモードで、高峰高原ホテルへ移動。
高峰高原ホテルは素晴らしい接客で、ようやく怒りが収まるとともに、むしろ感動したのであった。
こうでなくっちゃね。
混雑しているコマクサの湯に入ってサッパリ。
露天風呂がないのが惜しい!!
というわけで、山行はおしまい。
無事に感謝。
大して期待していなかったのではあるが、思いの外素晴らしい景色で、大満足だった。
後は帰るだけだ。
心配していた渋滞は、上信越道でも既に始まっていた。
途中の横川SAで、名物の峠の釜飯を食べ、腹を膨らませたら、ノンビリ渋滞にはまる。
関越も大渋滞。
自宅到着は、深夜となった。
筋肉痛 快調だった割には、筋肉痛が出た。第一外輪山の登り返しが効いたか。
膝痛 なし
捻挫跡 完治はしていないが、影響なし
靴擦れ なし(今日はLafumaなので全く問題なし)
【コスト】
用途 |
金額 |
アプローチ |
7,237 |
宿泊 |
0 |
食事 |
4,662 |
その他(温泉など) |
2,325 |
合計 |
14,224 |
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